すしの雑学
江戸前ずしの原点は屋台。銭湯の帰りなど小腹をふさぐ手軽な食べ物であり、 独立した若い職人が少ない元手で始める商売として格好の手段であった。
更に、それ以前、すしといえば、「魚介を材料に、塩と米飯を混ぜて漬け込み、
乳酸発酵させた保存食」(『なれずし』のことであった。その後、米の生産の拡大、
食材の変化などにより、『生成(なまなれ)』、『飯ずし』、『こけらずし』(押しずし)、
『箱ずし』を一口の大きさに切った『切りずし』と変化していったのであった。
そして、江戸時代の末期、さっと握って生の魚をのせて、さっと食べられる『握りずし』が
発明されるに至り、気の短い江戸っ子に気に入られ、『握りずし』が『江戸前ずし』と
なって広まっていったのである。(参考:「江戸前のすし」山崎博明著 雄鶏社)
カウンターのことを「立ち」というのは、昔は立食だったことから。 (トップページ、松本の昔話の写真参照)
すし屋独特の大きな湯のみは、屋台1人仕事からの知恵。お茶を代える手間がおしいのと、
昔はオシボリや箸なんて置いてなかったから、お茶を少し残しておき、手を突っ込んで洗ってから
帰ったらしい。そのために手が入るくらいの大きさがあり、その手をのれんで拭いて帰った。
のれんのよごれが店の人気のバロメーターであった。
なぜすし1個のことを「1貫(いっかん)」と呼ぶのかというと、諸説あるが、
江戸時代庶民は、穴あき銭を通貨として使っていて、50枚をひと組にひもを通して
(銭形平次のよう)持ち歩いていた。
そのひと組の呼び方が1貫で、これと握り1個が同じくらいの大きさだったから。
今でいうと、特大のおにぎりか?
戦前からあるすし屋は、全国でわずか3%しか残っていないらしい。

